2021.5.20 12:00

【ベテラン記者コラム(147)】沢松奈生子さんの芯の強さ、現在の女子プロゴルファーに問いたい

【ベテラン記者コラム(147)】

沢松奈生子さんの芯の強さ、現在の女子プロゴルファーに問いたい

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沢松奈生子さん

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 コロナ禍の休日は所在ない。家の中で寝ころんでテレビを見ていれば、嫁さんに粗大ゴミ扱いされる。冷たい視線を感じながら、見るともなくつけていた午後の情報番組に、元テニスプレーヤーの沢松奈生子さんが出演していた。「西宮VS尼崎」というベタな関西ローカルの企画。西宮市出身の沢松さんは「尼崎? 相手になりませんよ」と結構ノリノリだった。

 在阪局でレギュラー番組も持っていたはず。関西のお茶の間ではおなじみの顔である。今年で48歳。ノリの良さ、ツッコミも、ボケもお手のもの。元プロテニスプレーヤーの肩書を知らない人には、ただのザ・関西のおばちゃんである。

 現役ばりばりだったころの沢松さんには、凜とした強さがあった。テニス一家の名家に生まれ、西宮市内の自宅はお屋敷という形容がぴったりの古い造りの豪邸だった。敷地内にはテニスコートもあった。ご両親はともにウィンブルドンに出場経験があり、叔母はウィンブルドンの女子ダブルスを1975年に制した沢松和子さん。ラケットをおもちゃ代わりに育った沢松さんがテニスの道に進んだのは、自然な流れだった。

 夙川学院高1年だった1988年の全日本選手権シングルスに初出場初優勝を果たし、神戸松蔭女子学院大に進学したのを機にプロ転向した。95年に阪神淡路大震災が起きたときは全豪オープンに出場中だった。自宅は全壊。帰国することも考えたというが、無事だった家族や和子さんから逆に励まされ、四大大会では自身最高のベスト8に入り、被災地に勇気と感動を届けてくれた。

 現役引退したのは98年。その年の全仏オープンを取材し、沢松さんの話を聞いた。プロのテニスプレーヤーたちは世界各地を転戦する。沢松さんクラスになれば当然、マネジャーというか身の回りを世話する人がいると思っていた。

 でも、違った。航空券の手配、宿の予約、会場までの移動など一切合切を自分でやる。食事も炊飯器を持ち運び、ホテルの部屋でご飯を炊いていた。頼れるのは自分だけ。スマホなどなかった時代。コート外でもメンタルは相当鍛えられただろう。お嬢様育ちらしからぬ芯の強さは、そういう外的な要因によっても培われたのだと思う。

 翻って現在の女子プロゴルファーはどうだろう。長年取材していて思うのは、親が懸かり切りの選手が増えていること。マネジメント会社任せの選手も多い。時代が違うといってしまえば、それまでだが、親離れ、子離れができれば、もっと強くなれるのでは、と思ってしまう。まあ、関西流で締めれば、知らんけどだが。(臼杵孝志)