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【平成の真実(33)】平成12年9月24日 シドニー五輪「金」高橋尚子、異例の超高地トレが女子陸上界初の快挙につながった

【平成の真実(33)】

平成12年9月24日 シドニー五輪「金」高橋尚子、異例の超高地トレが女子陸上界初の快挙につながった

特集:
平成の真実
シドニー五輪で、ガッツポーズしてフィニッシュテープを切る高橋尚。日本の女子マラソンの歴史が動いた瞬間だった

シドニー五輪で、ガッツポーズしてフィニッシュテープを切る高橋尚。日本の女子マラソンの歴史が動いた瞬間だった【拡大】

 五輪史に燦然(さんぜん)と輝く名前がある。平成12(2000)年9月24日。シドニー五輪女子マラソンで、日本女子陸上界初の金メダルを獲得したのが「Qちゃん」こと高橋尚子(46)=現解説者=だ。当時所属した積水化学の小出義雄監督(79)=現佐倉AC代表=が諦めかけた五輪行きや、偶然が形となった標高3500メートルでの米国合宿。金メダル獲得までの1年間の軌跡をたどると、女子選手として時代を切り開くまでのドラマがあった。 (取材構成・鈴木智紘)

 小出は積水化学に辞表を出す腹づもりだった。シドニー五輪が半年後に迫る平成12年3月のことだ。チームのコーチを務めていた深山文夫(現佐倉ACコーチ)にこぼした。

 「首をくくるしかないかもしれないな」

 五輪代表の最終選考会となる名古屋国際女子の直前だった。その約1カ月前。壮行会で振る舞われたサバにあたった高橋尚は食中毒で入院。ただでさえ調子が上向かなかった中、調整に大幅な狂いが生じていた。それまでの選考会の結果で、3枚の切符のうち残るは事実上1枚だった。2時間22分台という好記録が求められていた。

 日本で緊急事態が起きた頃、深山はシドニー(オーストラリア)にいた。コースの下見、選手村ではない住み家の確保、レンタカーの手配…。金メダルに向けた準備が目的だった。高橋尚の状態をめぐり、国際電話での小出とのやりとりは続く。「Qちゃんは気持ちで走る。気分を乗せてやるしかない」。これが2人の結論だった。

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  • シドニー五輪で着用したユニホームを手にする高橋さん。歴史の扉を開くまでの日々を回顧した。手前は五輪前の練習で履いたシューズ(撮影・鈴木智紘)
  • 平成12年7月、高橋尚(右)は小出監督とボルダー郊外でロッキー山脈をバックに散歩した
  • 当時の紙面
  • これがQちゃんのマル秘練習メニュー
  • 高橋尚子・シドニー五輪までの1年間の足取り
  • 高橋尚子・マラソン成績
  • シドニー五輪・女子マラソン3傑