2020.5.6 13:00

【ラグビーコラム】医療関係者としてコロナに立ち向かうラガーマンたち

【ラグビーコラム】

医療関係者としてコロナに立ち向かうラガーマンたち

特集:
ありがとう、福岡堅樹選手
ノーサイドの精神

 【ノーサイドの精神】インターナショナルの選手たちが、新型コロナウイルスに対して戦っている。それも医療関係者として。

 かつてサッカーの中田英寿氏も躍動していたイタリア北部の都市、パルマ。昨年のW杯でもイタリアのFW第3列として奮闘したマキシム・ムバンダがボランティアで救急車の運転をしている。

 運転だけではなく、車いすやストレッチャーで患者を運ぶ手伝いもするため、防護服で完全防備して日々の業務に臨む。イタリア北部は、世界でも最悪の感染拡大に見舞われた。ムバンダは「相手は目に見えない敵。初めは怖かった」。父親が外科医ということも、このボランティア活動に対する動機の一つになっているのかもしれない。

 元ウェールズ代表で、大型CTBとして走り回ったジェイミー・ロバーツは、医師の資格を持っている。彼も医療従事者をサポートするボランティアに志願した。医療そのものには関与しないそうだが、「最前線で戦う人々を支援するべく、何か力になれればいいと考えた」という志は崇高でもある。

 日本でも、福岡堅樹(パナソニック)のように医師を目指すトップ選手がいるが、“医師ラガーマン”として強烈な印象を残したのが、往年のウェールズ代表の名FB、JPR・ウィリアムズだ。

 ウェールズ黄金時代の1970年代、世界最高のFBと呼ばれた。ストッキングを足首まで下げて、金色の長髪を振り乱しながら豪快に突進する攻撃性に加え、頭から正面で相手に突き刺さるヘッドオン・タックル(今ならとても推奨できないが)で、最後のとりでとして立ちはだかった。

 本業は外科医。あるテストマッチのとき、彼の強烈なタックルで相手が昏倒してしまった。マッチドクターが駆けつける前に、自ら“診察”して回復させたというのは有名なエピソード。1975年には来日して、日本のファンの前に雄姿を披露している。現在は71歳。世界的なパンデミックの中で、かつてのような頼もしさを発揮しているに違いない。

田中 浩(たなか・ひろし)

「田中 浩」イメージ画像  1983年入社。ラグビーブーム全盛期に担当を約10年、その後デジタルメディア、ボクシング担当、アマ野球担当などを経て2008年から運動部一般スポーツ担当デスクを務め、14年秋に二十数年ぶりにラグビー取材の現場に復帰。秩父宮ラグビー場でトライ(高校都大会決勝)と東京ドームでヒット(スポーツ紙対抗野球)の両方を経験したのがプチ自慢の59歳。